レッツコミュニケーション

 

11月5日(日)
 
 バイト。ただ平穏で平凡な、安寧秩序な日々が欲しい。死にたいと思わずに世界の美しさを享受していたいだけで、それだけなのに、と言ってしまうにはそれはとても難しいことなのだと年々実感する。
 11月だというのにひどく暑くて、今期はもう終わりですかねーなんて話していた〈ソフトクリームあります〉の看板を再び出す。注文してくれた家族連れに店前までソフトクリームを持って行く。


 私が男の子にソフトクリームを渡すのとちょうど同じタイミングで、その子の服にてんとう虫が飛んできて止まった。「見て、てんとう虫」と、服の裾を引っ張って男の子が私にてんとう虫を見せびらかしてにかっと笑う。その屈託の無い笑顔が自分に向けられるだなんて全く予想していなかった私は不意打ちを喰らってたじろぎ、本当だ、てんとう虫だね、とただ復唱する。そのまま私と男の子とで笑って目を合わせる。この瞬間、と思う。こういう瞬間にだけ価値を見出して生きていたい。走馬灯に今日のことを流して欲しい。

 

 

11月11日(土)


 広島までキタニタツヤさんのライブへ。念願。楽しかった......。感想や好きなところを書き始めるとものすごい量になるのでまた改めて。

 この1曲があの時期の私の命綱だった、みたいな経験が音楽を聴いている中でかなりあり、そしてその私は今役者業で食べていきたくて、映画で主演をやりたくて芝居のレッスンを受けながらオーディションを受ける日々を送っているわけだけど、音楽でなら約3分、下手したらもっと短い時間で聴く人の命綱になることが出来るのに、そして今はTikTokなどをはじめとする短いコンテンツがどんどん生まれている世の中なのに、それでも映画館で2時間という時間を割いて作品を観る、という行為をお客さんに選択してもらうことの価値をどう見出していくのかとか、それを提供していく立場の責任って確かにあるよなあ、と、キタニさん自身が今抱いている音楽への想いについてのMCを聴きながら考えていた。

  キタニさんは自身の中にある思考の整理と言語化がとても上手いし、その中にきちんと柔らかい優しさがある人だなあと常々思う。職人が丁寧に作り上げた一点物の木製の家具みたいな、そのすべすべしたあたたかさが触れていて心地良い。歌詞は勿論、ブログやインタビューを読んでいてもそれを強く感じる。


 私は、2時間というある程度長く、でもそれっきりで完結する物語としての在り方と、映画館というある種閉鎖的な空間にたくさん掬い上げて貰ったからこそ映画というコンテンツが好きだし、今度は役者として作品に出演することで誰かのことを、そして巡って、救いを求めるようにして映画館に通っていた10代の私のことも掬い上げられたらいいのに、という気持ちでいる。


 1秒見た絵画に救われるかもしれない、3分聴いた音楽に救われるかもしれない、2時間の映画に救われるかもしれない。3時間の舞台に救われるかもしれない。どれを選んだとしても、あなたがそれを受け取って明日も生きてみようかなと思ってもらえたなら嬉しい。医療や飲食、インフラなどとは違ってこういうジャンルは直接的にはあなたを救うことは出来ないけれど、私は、スクリーンの中であなたが来てくれる時を待っているし、どしっと構えて待っていられるような役者になりたい。オーディションには落ちまくっています。

 


11月13日(月)


 友達と会う。彼女は心理学を勉強しているので、私の持つ価値観や精神疾患を元に出てくる偏った考え方について相談すると、こういう仕組みなんじゃないかな、と理論でもって分解しながら答えを一緒に探してくれるし、私がお芝居をするにあたって感じている心の動きや心理状態、意図についても、心理学の視点からまた違った意見を話してくれる。同じ世界を生きていても、各々がまなざしている世界というのはこんなにも違うんだな、といつも新しい発見があり、お互いが見ている世界をそっちはどんな感じ?なんて言いながら見せ合う瞬間もすごく楽しい。

 頭の中をぐるぐるさせながら話す、漠然とした大きな概念や哲学の話も、反対に何の思考回路も通していないバカみたいな話もどっちも同じテンションでサイゼで話せる友達がいてくれることのありがたさと豊かさを想う。私は休学中の身なのであと一年、友達は院に行くのであと数年、同級生たちが働いているなか、もう少しだけ学生でいられる私たち。

 

 

 
11月18日(土)


 バイト。うちのバイト先には外国人のお客さんが多くいらっしゃるので、大学受験までの間に身に付けた突貫工事のような英語と翻訳機で日々悪戦苦闘している。今日のお客さんにDo you speak English?と聞かれ、A little......と塩をひとつまみするジェスチャーと苦い表情で返すと「大丈夫!私の日本語よりは上手よ!」と笑ってくれた。


 今までで一番印象に残っている海外からのお客さんは「日本の文化をきちんと守りたいのですが、私は外国人なので失礼な時があるかもしれません。なので、もし間違えている時には指摘してくださるとありがたいです。」と日本語で断りを入れてくださった方で、いやもう私から申し上げることなど何もございません……と日本人の私の方が恐縮しっぱなしだった。


 相手の国の文化を、しきたりを尊んで守ろうとしてくれること、相手のことを分かりたいと思うこと、その二つで人と人とはどこまでも繋がっていけるのではないか、と、今のバイト先で海外のお客さんと関わっていると強く思う。

 

 覚えてきてくれた日本語を「これで合ってるかな?」という表情で私に伝えてくれる時、合ってます!ありがとう!と私が返答した時に安堵しながら嬉しそうに笑ってくれる表情、私の拙い英語を聞き取ろうと耳を傾けてくれる時、私が上手く聞き取れなかったら分かりやすい単語に言い直してくれる時、反対に上手く接客が出来た時には「Perfect!」と褒めてくれる時、ああちゃんと社会と関われている、と実感する。

 それでもやっぱり上手く意思疎通が取れなくて「んー、、、どうしましょうかね、、?」と苦笑いしつつお互いスマホを開いて翻訳機を出し合う気まずい瞬間というのも多々あり、私にもっと力があれば......となり悔しい。もっと英語話せるようになりたいな~頑張りましょう。

 

 

11月19日(日)


 男女の仲良しグループって楽しそうで良いな、と今さらながらに思っていた。私はずっと男女の友情は無いと思っていた派で、というか成立させてくれなかったのはそっちじゃん、と漠然と不特定の誰かに怒りながら生きていた。ここ2年ぐらいでやっと「性別二元論と異性愛主義に囚われた頭のせいで、確かにそこにあったはずの友情を失うのは人生における過失すぎる」という考えに至っている。

大人になるにつれて色んなコミュニティに属すようになり「友情or恋愛」以外の人間関係の選択肢が増えてきたことは、かなり今の私の生きやすさに影響を与えてくれている。大人って最高かも。


 私には異性の幼馴染がいて、1歳にも満たない乳児のころから同じ保育園で育ち、なんかもう物心がついた頃にはそこにいて、腕を噛み合い目をひっかき合いながら育った。小学生の中学年になったあたりから、私と彼が一緒にいることが冷やかしの対象になり、そのあたりから学校の中でも男子/女子へと分かれていく瞬間が増え、当時の私はずっと戸惑っていた。


 確かにあったはずの友情が、その友情関係が異性同士で成り立っているというだけで「付き合っちゃいなよ~」といったような他者からのまなざしによって性だの恋愛だのへと丸め込まれ、変容を促されていく瞬間がとても怖かった。付き合っちゃいなよ〜と無責任に言うだけ言うような子たちに限って異性の友人がたくさんいて、何なんだよ、とも思っていた。

戸惑ったまま私は彼を遠ざけ、それでも友達でいたいから関わり直そうとも試みたものの、結局上手くいかず今はもう疎遠になった。


 高校1年生の時、隣の席の数学が得意なクラスメイトに、赤点スレスレ数学ド苦手私が教えを乞うてテスト期間の放課後に分からないところを教えて貰っていて、助かったわ!ありがと!とその子と解散した瞬間に同じ教室にいたクラスメイトに囲まれて「○○君と付き合うの!?」となった時も「え!?そうなの!?」と大困惑した。挙句の果てに「恋人が出来るのってのは素晴らしいことだよ」なんてわざわざLINEで諭しに来た子もいて、その時点で明確に「気持ち悪」と感じたのを覚えている。私は高校2年に上がるタイミングで転校してしまったので、そのクラスメイトの男の子ともそれっきりになってしまった。


 そういうんじゃないから、が、否定ではなく照れ隠しとしか受け取ってもらえず、さらに冷やかしへの燃料となっていたあの時、どうすれば私は毅然と彼らと友達で居続けられたのだろう。本当はもっと仲良くしたかった。数学を教えて貰った代わりに私の得意な科目を教えてあげたかった。


 10代の頃の自分の中の苦い経験たちに基づいて「そんなもの成立しないじゃん!」と自ら手放したものたちを、今になってやっぱり欲しかったなあ、と、仲の良さそうな大学の同級生の男女グループの子たちのことを羨ましく思いつつ遠くの陰から覗いている。 

 まあそもそも私には同じ大学の友達は一人もおらず、2020年、コロナ禍真っ只中入学サークル無所属を言い訳に人間関係を怠ったツケが回ってきただけなんですけどね。