2023年10月23日(月)

 

 寝る前に1500字分の文章を書いていて、朝起きてから読み返してみたらまあそれはそれはつまらなかったので没。深夜に書くものが良いものだった試しなど無い。起きた時点で「ああ今日は駄目な日だ」と分かる日というのがあるけど今日がそれで、お昼を過ぎたあたりからどんどん精神が希死念慮へと向かってしまい、これはいかん、と思い散歩に出る。

 家を出て30分、さらに追い打ちをかけてくる希死念慮とそれに対する防衛反応で目に映る全てに攻撃的な気持ちを抱きつつ、それを振り払うべく髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしる。そして

「おい!飽きもせず毎日毎日死にたがってるくせして美味しいものを食べてかわいい服を着て引越し先に置きたい美しい家具を選んでいるぞ!!!スーパーの切花コーナーで季節の花だって買うぞ!!!!どうだ!!!!!めちゃくちゃ生きようとしているだろ!!!!!!!!!!殺してみろ!!!!!!!!!!バ――――カ!!!!!!!!!!!!」

スマホのメモに書き殴り画面を切る。はあ。

 一心不乱に二時間歩いてヘロヘロになり、ひと通り溜飲も下がったところで「寒いし疲れたし今日はこれくらいにしてやる......」とサンドイッチを買って鴨川沿いを歩いて帰る。希死念慮vs生命力、本日は生命力の勝利。死んでみるのはまた今度~♪と口遊む。

 

 

2023年10月24日(火)

 ここ最近の希死念慮は「死にたい」ではなく「ウワー!殺してくれー!」と発狂しそうになるタイプの攻撃型で、他人の前で大声を出して崩れ落ちそうにならないように保つので必死。

 バイト終わり、ああ今日も駄目だった、そしてこの精神状態のままで家に帰ってはいけない、と思い昨日と同じようにずんずん歩く。

 「もう知らん!全部めちゃくちゃにしてやる!」と自暴自棄になろうと試みたものの、私の中で出来るそれなんていうのはコンビニで買ったサンドイッチとおにぎり3つを夜道を歩きながら食べる、というやけ食いと少しの行儀の悪さ程度で、私ってなんて矮小でつまらない人間なんだろうか、と余計に凹んでいた。

 そして、自分の中での悪いこと、の判断基準が未だに「両親に怒られそうかどうか」なことにも情けなくなっていた。もう23歳なのに。歩きながら食べない!ましてや外で!と怒られるだろうなぁ、と思いつつ夜道をサンドイッチを頬張りながら歩く。絶対に生き延びてみせる。

 

 


2023年10月25日(水)

 8時にすっと目が覚める。朝の血圧が80前半の壊滅的低血圧の私にとっては月に二度ほどしか訪れないレアケースで、鴨川沿いに散歩に行く。

 上流に向かってしばらく歩いてから木の下にあるベンチに寝転がって、木の葉がさわさわ揺れるのを見ながらラジオをかける。

 

 気候的にはこれくらいが快適だけれど、秋は本当に精神が狂ってしまうので駄目だ。かといってじゃあ一年の内でいつ気が狂っていないのかと聞かれるとそんな月は無く、もう諦めてこの気の狂いをやり過ごす方法を生み出していく他に無い。

 高校二年生の時に訪れたハワイの海で、その波の荒さと高さにそれまで瀬戸内海の穏やかな海を見て育ってきた私は圧倒された。現地の女の子が「波が自分の腰くらいまでの時はそれを飛び越えて、自分より背の高い波の時は下にもぐってやり過ごすんだよ」と教えてくれたことをずっと覚えている。

 この波は自分には越えられない、と思った時に、取り敢えず息を止めて下に潜るという選択肢を取る事は逃げではなく、寧ろ命を安全に保つための賢明な判断であると海の中では明確に分かるのに、地上で生活をしていて同じ状況に陥ると、なんで私はこんな波も越えられないんだろうか、と落ち込むので馬鹿みたいだなと思う。

 何か今の自分では越えられない困難に直面した時、まず私は越えられそうな次の波が来るまで待つべきで、どんな波も越えられる屈強さを手に入れようと意固地になり続けるのには限度があると早く自覚した方が良い。


 水が好きな私は自分の考えを海やら川やら魚やらで例えて文章にしがちなのだけど、先日のKOCのサルゴリラのネタで突如として「魚」が最高のキラーフレーズになってしまったため、私がどれだけ頭をひねって文字を書いても馬鹿馬鹿しく面白おかしくなってきてしまうようになり、お笑いの偉大さを感じる。どんな感情も展開も人生も、それら全てを笑いへと昇華させてゆく芸人という職業のなんと美しいことか。私は人生という海を泳ぐ魚、いや、人生という魚を泳ぐ魚、さらに言えば魚という魚を泳ぐ魚なのかもしれない。
 というか、お笑いバックスのKENさんと赤羽さんが全く私の中で繋がっておらずびっくりした。KOC最高だったなあ。