留まることなく

 

1月8日(月)

 年始の3連勤を終え、ご褒美にとケーキを買って星野源さんのワークソングを聴きながら帰宅、労働後のケーキが染み渡るのなんの......とほくほく顔で食べつつTwitterを眺めていたらガザの街並みに並ぶ遺体が入った袋とそれを見つめる小さな子どもの写真が流れてきて、自分の足元ががらがらと全部崩れ落ちていくような気持ちになった。
 私には私の生活があり、それを粛々とやっていくしかなく、ケーキを食べてまた明日から頑張るぞと意気込むことは私にとって必要で、でもどうしたってその生活と地続きの場所で今日も無差別に人が殺されている。そのコントラストが本当に残酷だ。戦争よ早く終われ。
 戦争を後押しするような企業の不買運動に参加したり、賛同できる運動に署名したりといった些細な範囲でしか動けておらず、どうしたら良いんだろうな。とにかく現状を知ることが大事なので(知らないことがあまりにも多いので)記事や本を色々と集めて勉強している。大学図書館って勉強したいことについての本が全部ある、すごい。
 去年の春頃に鬱の症状が酷くなってからというもの、まとまった量の活字がほとんど読めなくなり、文字を追おうとすると脳みそを歯ブラシで直接ざりざりされているような不快感に襲われてどうにもならなくなっていたのだけど、半年休学してゆっくりゆっくり精神のバランスを取り戻して、12月の終わりごろからまた少しずつ、読むペースはかなり落ちてしまったもののまた本が読めるくらいまでに回復してくれた。久しぶりに図書館で本を借りられたのが本当に嬉しかった。本が読めるということ、教育を受けられるということ以上に恵まれていることというのは無いと思っているし、その権利は誰に対しても平等に開かれているべきだ。人々からその権利を奪うというのが戦争という愚かな行為のもたらす被害の一つでもあって、そんなことは許されてはいけない。
 

 


1月12日(金)
 2024年ライブ初め。キタニタツヤさんのライブ。
キタニさんは音楽が持つ力をとても強く信じていて、そして何より音楽を愛していて、自分が作る音楽が、そこに込めた想いがどうかあなたに届きますように、という切実な祈りを向けてくれる。そしてそれは音楽からだけでなく、MCで話す内容からもいつも滲み出ている。誠実な人だと思う。
 「音楽は人生の伴奏」という言葉を目にするたび、私はずっとそれをバックミュージックという意味で受け取っていたんだけど、キタニさんは「人生のリズムを崩さないためのメトロノーム」という意味で使っていることが最近分かって、それがすとんと胸に落ちてきている。
 私のそばにいる音楽たちは、私が崩れないように、呼吸の代わりに一定のリズムを刻んでくれているんだなと思う。私が私のまま保っていられるように、私の中にあるリズムのぎこちなさを、ままならなさをチューニングしている。
 いつもキタニさんの音楽に寄りかからせてもらっているお礼をご本人に直接伝えられたら良いな、帰ったら今日のライブの感想も含めてファンレターを書こう、と決めて電車に揺られて帰る。

 

音楽はひとりになると聴こえ出す二度とは月に合わないピント / 山階基『夜を着こなせたなら』

 


1月14日(日)
 バイト。初めてモンブランを作って出した。綺麗に作れましたやったね。
 久しぶりに息が白くなる日だった。お店は年季の入った日本家屋なので中々に冷える。廊下に出ると吐く息が白くなる。やかん人間だ、と思う。
 夜頃から久しぶりに「ウワー!殺してくれ!!!」の発作が出てしまい呑み込まれないように必死で抗っていた。自分の日記を読み返したら先月の12日~15日辺りもメンタルのバランスが崩れていたのでそういう周期なんだと思う。今の自分の波の状況が把握できると少しだけ落ち着く。薬を飲んで早く寝ましょう。
 精神的に不安定になると、それまで気にしていなかったことが気になってきて勝手につらくなるので良くない。例えば私は本当に「好きなものを同じように好きな人と共有して交流する」が出来ないタイプで、昨今の「推し活」の波にも全く乗れない。そもそも「推し」という単語自体がここ数年ですごくカジュアルなものになってしまい、私が使う言葉ではなくなってしまったな、と疎外感を抱くようになった。
 ライブも映画も9割ひとりで行くし、同じものが好きな人とネットで繋がるのとかも全然出来ない。こういうブログとか、誰も見ていないに等しいTwitterアカウントで壁打ちのように話すくらいしか出来ない。別にそれならそれで良いし誰にも咎められていないのに、駄目だ私は......ニンゲントナカヨクデキナイ......と悲しきモンスターになってめそめそしてしまう。
 これは私が「誰かと共有出来なかった(したくないと思ってしまった)自分の中に残ったもの」に価値を見出しすぎているからだと思う。閉鎖的頑固オタク、厄介この上ない。もっとオープンさを携えた人間になりたい。

 

 


1月15日(月)
 今日同じシフトだったOさん(60代くらいの上品なご婦人)の接客、言葉遣いと立ち居振る舞い、電話対応がいつも本当に美しくて、横で見て聞いていると惚れ惚れする。電話対応なんてネットで「電話対応 綺麗 お手本」と入力して検索したら検索結果の一番上に出てきて欲しいくらい完璧な美しさ。
 対応した際の伝言メモも丁寧で分かりやすくて、今のバイト先に勤務するようになって初めて電話応対をするようになってから毎回どぎまぎてんやわんやしている私は、Oさんが受けている電話を盗み聞きしつつ学ぶ日々を送っている。
 「電話対応とか接客とか、いつもとても綺麗なので勉強させていただいているんですけど、前職でも接客業をされていたんですか?」という旨のことを聞いてみたら、若い頃は秘書をしていたんですよ、と返ってきて、それでか~!となる。今日は「当店が火曜日と水曜日は定休日でして」→「当店が火曜日と水曜日はお休みをいただいておりまして」という言い換え表現を学びました。大人って難しいね。

 


1月22日(月)
 「渡海さんて意外とテンパり屋さんでしょ」と人に言われたときのことを、バイト中ややこしい注文が重なって軽くパニックになりながら捌いている途中に思い出していた。
「テンパり屋さん」という響き、どことなくチャーミングで私はすごく気に入っていて、キャパオーバーしやすいとか要領が悪いとかよりずっと良い単語だと思う。なんかチョコレートとか扱えそうだし。

 

 

2月1日(木)
 ファーストデイなので映画を観に行って、本屋で本を買う。コメダに寄って買った本を読みつつ日記を書く。隣の席の男性二人の会話が耳に入ってくる。
 「神社で参拝するときは自分の名前と住んでる住所言うってのがあるでしょ、あんなのを信じてる奴は馬鹿だよ」とおそらく先輩なのであろう男性が言い放っていて、毎度神社の鳥居をくぐるたびに律義に名前と住所を心の中で唱えている私はぎく、となる。先輩男性はどうやら科学と数字を信用していて、代わりにスピリチュアルなものを下に見ているようだ。神様や宗教を信じている人を馬鹿にした物言いが続く。それを聞いている後輩にあたる男性は、そうですよね、分かります、と肯定を続ける。まあでも僕は、と後輩男性が違う意見を言いかけようとすると、先輩男性は「いやでも結局はこういうことで」と後輩男性の言葉を押さえつけてさらに持論を展開していく。後輩男性がええ、まあそうですよね、と相槌を打つ。
 やあ~久しぶりに話せて良かったよ、と満足げに先輩男性が言って、その二人は私より先に店を出て行った。ふう、と深いため息を吐く。
 対話をするふりをして、自分の価値観を相手(特に自分より下の立場にいる人)に言い聞かせたいだけの人、というのは結構いる。会話における相手の意見は求めていなくて「○○さんの仰る通りだと思います」と同意されて認められたいだけで、それをやんわりと、でも確実に相手に押し付けて、そしてそれを自覚することは無く、本人は「自分は目下の人間とも対等に話せている」と信じて気持ち良くなっている人。書いていてつらくなってきた。
 そういう大人と会うたびにうげ、と思っているけれど、私自身も歳を重ねていくにつれて、年下に自覚の無いままに同じことをしていくのかもしれない。というか既にそう振る舞っている場面があると思う。めちゃくちゃ恐ろしい。老いに付随する厄介さの正体の一つだ。どうにかしてそれは避けたい。高圧的な大人になりたくないよ~、助けてください。

 

 

 

去る季節

 

 

12月11日(月)
 
 金閣寺前は毎日観光客でごった返していて、みんなほんとに金閣寺のこと好きやな......と思いながらその道沿いを通って出勤するのにバイト先の大徳寺近辺は平日にもなるとほとんど人通りが無い。紅葉も終わり始めているし黄梅院とかも人が減ってきたんだろうか。
 お客さんが来ない時間になると、最近はお店の中庭にある椿の散って落ちた花を拾って掃除している。椿は根元から花ごとぽとんと落ちて散るので、首が落ちるのを連想させるため武士からは敬遠されていたらしい。その散り際の潔さも込みで私は椿がかなり好きで、しおれて落ちてしまったものもなんとなくごみ袋に入れられず、完全に茶色くなるまでとりあえずは客席から見えないところに避けてしまっている。
 砂利が引いてある庭なので箒で掃いてまとめるのが難しく、手でちまちまと拾い上げながらふと「白い椿は花ごと落ちたものを拾っているのにマゼンタの椿の方は花びらの状態になったものを拾っているな?」と気付く。品種の違いなのか何なのか。鳥がつついたら崩れてしまうんだろうか?などいろいろ考えるも分からなかった。

 


12月12日(火)

 昨晩寝る前に「椿の花の落ち方が違うのって何の違いなんだろう」という旨のツイート(意地でもTwitter、ツイートと呼び続けていて引き際が分からない)をしたら今朝コメントをくださった方がいた。
 どうやら花の種類から違っていて、マゼンタ色の方は山茶花だったらしい。どちらもツバキ科で判断に迷いますが、終わった花が丸ごと落ちるのが椿、花びらが1枚ずつ落ちるのが山茶花ですよと教えていただく。ひとつ賢くなった。
 似た者同士のふたりが決定的に差異化される瞬間が終わりの時なのってめちゃくちゃオタク心をくすぐる。椿の潔さも山茶花の儚さも綺麗で素敵だ。どう生きるかではない、どう死ぬかだ、みたいな類の人生論に似ている気がする。
 夜、突然やってきた和牛の解散をニュースを見てかなりつらくなっている。和牛の漫才は伝統工芸品、特に寄せ木細工のような、細部の細部まで全てが計算され丁寧に組み上げられた本当に美しい漫才で、観るたびにいつも笑いながら惚れ惚れしていた。もう観れなくなっちゃうのか、ただただ寂しい。漫才師の解散はいつだって悲しい。
 やっぱり私は“2人”というのが人間関係における最小で最大の単位だと思っているので、その2人が袂を分かつ瞬間というのは誰にも介入出来ないんだよな、と思う。あ~~~寂しい。

 


12月13日(水)

 12月とは思えない暖かさだな、と思いながら洗濯物を干したあと、冷凍ブルーベリーをつまみながらぼんやりしていて、気付いたら左手の親指と人差し指が真紫になっていてぎょっとした。洗っても取れない。ちゃんとスプーンを使いましょう。
 tofubeatsさんのサンプリング&エディット講座(https://youtu.be/elkmnnTLP74?feature=shared)を流している。DJの知識が一切無いので「何も......何も分からんけど格好良い......!!!」というモチベーションのみで観て聴いている。でもそれで良いと思っている。お客さんたちもとてもラフに楽しんでいて空間ごと素敵なのが伝わる。DJイベント行ってみたい。東京ってこういうところに行こうと思えばふらっと行けるんだもんなあ、田舎の豊かさの中で育った自分のことも好きだけれど、それでも都会の文化的な豊かさを想う。
 音楽を聴いていてこういう曲調が好き、となっても、それがどういうジャンルにあたるのか、どんな技法で作られているのかが分からないから似た系統を探せない、みたいなことがよくあるので、作者の方が自分の曲の概要欄にその曲のジャンルのタグなんかを付けてくれているととても助かるしありがたい。数か月前にシャッフルで流れてきた松木美定さんの『舞台の上で』に撃ち抜かれてしまって、その概要欄のタグからジャズワルツというジャンルの音楽があることを知った。ジャズワルツ、と検索したら自分の好きな曲調の音楽がわんさか出てくる!1つ単語を知っているだけでこんなにも求めている情報に簡単に繋がる!知識があるって素晴らしい!となる。私のお葬式のBGMは松木美定さんメドレーが良いです。
 なんか良い、とか、分からないなりに知ろうとしてみる、のスタンスでいる方が人生において楽しいことが増えると信じているので、出来るだけ気になったものとか、誰かが「これいいよ」と教えてくれたものなんかへのフットワークを軽くしていたい。そのテンションでこの前AKIRAを観たら脳をぶんぶん振り回されて暫く調子を崩した。

 


12月16日(土)


 バイト先の押入れ(商品在庫とかがある)のセンサーライトに完全になめられている。私が入ってもその場で身体をぶんぶんしてみても全く反応してくれず、仕方なくスマホのライトを点けた瞬間に点灯したり、スマホのライトでひと通り用事を済ませて押入れから出ようとした瞬間に点灯したりしてくる。もてあそばれており許せない。
 ほんとにいつもいつもよお......と思いながら今日は午前中押入れの中の整理をしていて、よし綺麗になった、と出て以降午後からは一度もセンサーが無反応になることなく光ってくれた。どうやら働きを認めて貰えたらしい。

 


12月17日(日)


 絵に描いたような減点方式人間で生き辛い。95点を取っても失った5点の方にばかり執着してしまう。いわゆる「優等生」として育ったので、優秀では無い自分に価値は無い、という自分でかけた呪いがずっと解けない。見てください、私はもっと出来るんです、もっと優秀なんです、さらに優秀になってみせます、と一体誰にそれを示したいのか分からないまま、いつも勝手に追い詰められて自滅している。生きていくということは即ち自分で自分にかけた呪いを解いていく作業で、出来たことを1つずつ数えて肯定していく練習が続いている。
 誰かに何かを与えていないと自分の存在価値が分からなくなる。それは単純に物だったり、言葉だったりする。疲れて鬱傾向が強まり、しんどくなると家族や友達にプレゼントを送り付け、匿名メッセージで好きなイラストレーターさんや企業に好きですいつもありがとうございますという旨のメッセージを送りまくってしまう。     
 勿論その言葉に嘘は無いしプレゼントの類も相手に届けたくて喜んでほしくて贈っているけれど、でもその行動の根底には自分の存在価値を証明させたいという縋りがあり、そうして誰かに与えるものほど愚かなものは無いように感じる。自己嫌悪の嵐。ずっと誰かに許されたがっている。

 

誠実とは

 

11月29日(水)

 「どういう人が好き?」と聞かれたとき、迷った挙句いつも「賢い人です」と答えてしまう。私がそれに当てはまるのかは分からないけれど、世の中にはサピオロマンティックやサピオセクシャルという単語もあるくらい、知性に魅力を感じる人は一定数いるのだと思う。知は力なり。この時私が考える知性とは、単なる勉強が出来る、という意味だけではなく、思慮深さであったり、言語化を諦めることなく世界と向き合っていたり、想像力をもって他者と関われる人のことを指す。そして賢い人に出逢うためには自らも賢い人である必要があり、賢く聡い人間になりてえ......と思いながら勉強をし、本を読み、知識を得ようともちゃもちゃとやっている。

 そして、勉強が出来る人が好き、と言い切るときに伴う暴力性についても考える。私は精神疾患を持つ者として「情緒が安定している人が好きです」という発言を目にするたびに勝手に傷ついているのだけど、同じようにして、自分ではどうにもならない要因、経済的な理由や身体的及び精神的な理由、家庭環境などによって自分の希望のままに勉強することの出来ずにいた人、現在進行形でそういった環境にいる人に向かって「勉強できる人が好きです」と無自覚に言い放つ可能性があることの無神経さよ。

 何かを好きだと選び取るとき、伴って私はそれに当てはまらない何かを切り捨てている。全ての人を傷付けない言葉なんていうものは無いと分かっていたとしても、それでもできる限り他者を傷付ける言葉は使いたくない。しかし言葉は常に何かしらの加害性を孕んでいる。

 そんなことを言い始めると何も言えなくなるのでは?という気持ちになることもあるけれど、これも駄目あれも駄目って、じゃあ全部駄目じゃん!と言い切ってそこで思考を放棄することは愚かなので、じゃあそこからどうしていく?と自分の発言に付随する加害性にどれだけ自覚的になれるかを考え続けていくことが、自分が世界に対して誠実でいるための鍵な気がする。言語化を諦めない、は私が生活する上での目標でもあるので、それが出来ている人に出逢うとやっぱり素敵だな、と感じる。

 最近やっと良い表現を思い付いたんだけど「ゴールデンレトリバーみたいな人」がいちばん端的に私の好みを表している気がする。優しくて賢くて穏やかで、たれ目の笑顔が可愛い人にとても弱いです。

 


 

12月1日(金)

 お芝居において「自分ではない誰かになる」時、ただその人の性格になるだけでなく、その人の持つパーソナルスペースにもならなければならないってことなんだよな、それって難しすぎない???と思いながらここ最近のレッスンを受けている。

 私はかなりパーソナルスペースが広く、そもそも人から不意に触れられるのがとても苦手なので、自分がされて嫌なことは人にはしない、の精神で基本的にどれだけ仲が良かろうと自分から相手に触れに行くことは無いし、私の友人たちというのは私のそういう気質を分かっていてくれている(かつパーソナルスペースの感覚が似ている同士だからこそ心地よく友人関係でいられている)ので、基本的にいわゆるスキンシップの類もほとんどない。PRODUCE101のオーディション生の子たちのきらきらした可愛い戯れを観ながら、確かに自分が10代の頃にも、周りに常に友達と手を繋いでいたりハグしたりしてた子たちっていたなー、と思い出していた。

 繰り返しになってしまうけれど、お芝居を通して誰かになるときは、その人の性格になるのと同じようにその人のパーソナルスペースにもならないといけない。特にラブコメの類はパーソナルスペースも何もない。私からしてみれば突如として始まる近接戦闘である。それでも主人公の男は勝手に抱き締めてくるし、ヒロインはそれをときめく行為として受け取る。

 相手が例え好きな人であろうと急に他人の胸に引き寄せられるなんて私からしたら恐怖以外の何物でもないのだが、そのシーンにおいて私本体のパーソナルスペースは必要が無いため、私がそこでちょっと待ってくださいこの距離感は無くないですか?と止めるわけにはいかない。ヒロインになるのならば急に抱きしめられることを嬉しいと感じるヒロインのパーソナルスペースになることが必要で、伴って自己のここまでなら安全、と引いているラインのことは一度脇によけておく必要がある。それも込みで「役に入る」なんだろうけれど、私は中々そこをぱつっと切り替えられず、あー今のシーンもっとぐいっと相手に近づいたら/触れたらより良く出来たのにな、の反省ばかりだ。

 ラブコメの台本って難しい。パーソナルスペースが広大かつ強固な牧野つくしなんて嫌じゃないですか、抱きしめても良いか?なんて同意を取ってから抱きしめる道明寺司ってなんか違うじゃないですか、あ~私の世界とラブコメの世界の個々のパーソナルスペースの差が違い過ぎて付いていけない、と悪戦苦闘しながら花より男子の台本を使った11月のレッスンの振り返りをしていた。お芝居って難しい。考えないといけないことが多すぎる。

 


12月3日(日)

 じわじわと健康な精神の貯金が崩れ、軽躁期間が終わり鬱の周期に入って来ている。このがくっと急降下するタイミングが一番しんどい。それまでの1~2か月楽しかったこと嬉しかったこと全てが紛い物だったかのような気持ちになる。

 どう足掻いても軽率で軽薄な自分が露呈され続けている気がする。最果タヒさんの『コンプレックス・プリズム』に「誰にだって優しい、というのは、好きと優しさが直結しないということだから。」という文章があるのだけどまさにその通りだと思っていて、好きな人にだけ優しくする人のほうが、好きではない人に対してもにこにこへらへらと社会における「優しい」とされる言動をしている私よりもずっと素直で誠実なように感じる。優しいですねと褒めないでくれ、そんなような人間ではないんだ。

 躁状態鬱状態も抗ったところでやってくることを避けては通れないので、少しでも上下のY軸の絶対値が大きく振れてしまわないように、最小限の波になるようにやっていくしかない。辛いラーメンを食べてお風呂に浸かって薬を飲んで9時に寝る。明日もバイト。

 


12月4日(月)
「やっぱー、こういうグループ研修に女性が一人いると空気が柔らかくなって良いですよね、ライバル感が無くなるというか(笑)しかもきちんと事前に勉強してきていて、偉いですよねー」

という旨の会話をバイト中に聞いて以降かなり具合が悪い。


 女性がグループワークに参加するとき、その女性はその場で何かしらを学ぶために参加しているのであり、断じて空気作りのために存在しているのではない。唯一勉強してきたのがその他大勢の男性の中の一人だったら何も言わないだろう、女「なのに」勉強をしている、という思考が発言者から透けて見えたこともあり余計に苦しい。御本人には何の悪意も無く純粋に褒めているつもりだったのも苦しい。そして、優秀であるためにきちんと勉強して望んだとしても、女性だから、という理由のみでその競争社会の中のライバル=対等関係にすらさせてもらえない。つらい。

 女性がいないと穏やかな空気も作れないんですか???とキレ散らかしそうになるのを堪え、本当に色々と言いたいことを堪えながら怒りのエネルギーを運動エネルギーへと変換し夜道を自転車で爆走して帰宅、ひと通り溜飲も下がったところで、男社会も男社会でしんどそうだな、となんだか少し同情してしまっていた。

  マウンドから降りることを許されず、気付いたら履かされていた下駄を脱ぎたくても脱げず、いざ脱いだら逃げだと言われ、常に強く優秀であることを求められ続けている。

 今の私には自分が当事者になっている視点(女性から見る社会の生き辛さ)からの勉強をする精神的余裕しかないので、男性視点から切り取る社会学の面にまで手を伸ばせていないのだけど、もう少しその辺りについても学ばないとなーと思う。男性視点から見るフェミニズムにおいては、Spotifyポッドキャストの『黙っていいラジオ』が学びが多く得られてありがたい番組。

 目の前にある対立構造は「男性VS女性」ではなく「男性&女性VS社会&政治」であることを私たちは忘れてしまいがちで、どっちの方が生き辛いかの我慢比べをしている場合では無い。今目の前にあるのは「どっちもが生き辛い」社会だ。コンビニに行く感覚で選挙に行くべきだし、今日の夜ご飯何食べたいかの感覚で誰かと政治の話もした方が良い。私はみんなが生きやすい社会が欲しい。

 

 

レッツコミュニケーション

 

11月5日(日)
 
 バイト。ただ平穏で平凡な、安寧秩序な日々が欲しい。死にたいと思わずに世界の美しさを享受していたいだけで、それだけなのに、と言ってしまうにはそれはとても難しいことなのだと年々実感する。
 11月だというのにひどく暑くて、今期はもう終わりですかねーなんて話していた〈ソフトクリームあります〉の看板を再び出す。注文してくれた家族連れに店前までソフトクリームを持って行く。


 私が男の子にソフトクリームを渡すのとちょうど同じタイミングで、その子の服にてんとう虫が飛んできて止まった。「見て、てんとう虫」と、服の裾を引っ張って男の子が私にてんとう虫を見せびらかしてにかっと笑う。その屈託の無い笑顔が自分に向けられるだなんて全く予想していなかった私は不意打ちを喰らってたじろぎ、本当だ、てんとう虫だね、とただ復唱する。そのまま私と男の子とで笑って目を合わせる。この瞬間、と思う。こういう瞬間にだけ価値を見出して生きていたい。走馬灯に今日のことを流して欲しい。

 

 

11月11日(土)


 広島までキタニタツヤさんのライブへ。念願。楽しかった......。感想や好きなところを書き始めるとものすごい量になるのでまた改めて。

 この1曲があの時期の私の命綱だった、みたいな経験が音楽を聴いている中でかなりあり、そしてその私は今役者業で食べていきたくて、映画で主演をやりたくて芝居のレッスンを受けながらオーディションを受ける日々を送っているわけだけど、音楽でなら約3分、下手したらもっと短い時間で聴く人の命綱になることが出来るのに、そして今はTikTokなどをはじめとする短いコンテンツがどんどん生まれている世の中なのに、それでも映画館で2時間という時間を割いて作品を観る、という行為をお客さんに選択してもらうことの価値をどう見出していくのかとか、それを提供していく立場の責任って確かにあるよなあ、と、キタニさん自身が今抱いている音楽への想いについてのMCを聴きながら考えていた。

  キタニさんは自身の中にある思考の整理と言語化がとても上手いし、その中にきちんと柔らかい優しさがある人だなあと常々思う。職人が丁寧に作り上げた一点物の木製の家具みたいな、そのすべすべしたあたたかさが触れていて心地良い。歌詞は勿論、ブログやインタビューを読んでいてもそれを強く感じる。


 私は、2時間というある程度長く、でもそれっきりで完結する物語としての在り方と、映画館というある種閉鎖的な空間にたくさん掬い上げて貰ったからこそ映画というコンテンツが好きだし、今度は役者として作品に出演することで誰かのことを、そして巡って、救いを求めるようにして映画館に通っていた10代の私のことも掬い上げられたらいいのに、という気持ちでいる。


 1秒見た絵画に救われるかもしれない、3分聴いた音楽に救われるかもしれない、2時間の映画に救われるかもしれない。3時間の舞台に救われるかもしれない。どれを選んだとしても、あなたがそれを受け取って明日も生きてみようかなと思ってもらえたなら嬉しい。医療や飲食、インフラなどとは違ってこういうジャンルは直接的にはあなたを救うことは出来ないけれど、私は、スクリーンの中であなたが来てくれる時を待っているし、どしっと構えて待っていられるような役者になりたい。オーディションには落ちまくっています。

 


11月13日(月)


 友達と会う。彼女は心理学を勉強しているので、私の持つ価値観や精神疾患を元に出てくる偏った考え方について相談すると、こういう仕組みなんじゃないかな、と理論でもって分解しながら答えを一緒に探してくれるし、私がお芝居をするにあたって感じている心の動きや心理状態、意図についても、心理学の視点からまた違った意見を話してくれる。同じ世界を生きていても、各々がまなざしている世界というのはこんなにも違うんだな、といつも新しい発見があり、お互いが見ている世界をそっちはどんな感じ?なんて言いながら見せ合う瞬間もすごく楽しい。

 頭の中をぐるぐるさせながら話す、漠然とした大きな概念や哲学の話も、反対に何の思考回路も通していないバカみたいな話もどっちも同じテンションでサイゼで話せる友達がいてくれることのありがたさと豊かさを想う。私は休学中の身なのであと一年、友達は院に行くのであと数年、同級生たちが働いているなか、もう少しだけ学生でいられる私たち。

 

 

 
11月18日(土)


 バイト。うちのバイト先には外国人のお客さんが多くいらっしゃるので、大学受験までの間に身に付けた突貫工事のような英語と翻訳機で日々悪戦苦闘している。今日のお客さんにDo you speak English?と聞かれ、A little......と塩をひとつまみするジェスチャーと苦い表情で返すと「大丈夫!私の日本語よりは上手よ!」と笑ってくれた。


 今までで一番印象に残っている海外からのお客さんは「日本の文化をきちんと守りたいのですが、私は外国人なので失礼な時があるかもしれません。なので、もし間違えている時には指摘してくださるとありがたいです。」と日本語で断りを入れてくださった方で、いやもう私から申し上げることなど何もございません……と日本人の私の方が恐縮しっぱなしだった。


 相手の国の文化を、しきたりを尊んで守ろうとしてくれること、相手のことを分かりたいと思うこと、その二つで人と人とはどこまでも繋がっていけるのではないか、と、今のバイト先で海外のお客さんと関わっていると強く思う。

 

 覚えてきてくれた日本語を「これで合ってるかな?」という表情で私に伝えてくれる時、合ってます!ありがとう!と私が返答した時に安堵しながら嬉しそうに笑ってくれる表情、私の拙い英語を聞き取ろうと耳を傾けてくれる時、私が上手く聞き取れなかったら分かりやすい単語に言い直してくれる時、反対に上手く接客が出来た時には「Perfect!」と褒めてくれる時、ああちゃんと社会と関われている、と実感する。

 それでもやっぱり上手く意思疎通が取れなくて「んー、、、どうしましょうかね、、?」と苦笑いしつつお互いスマホを開いて翻訳機を出し合う気まずい瞬間というのも多々あり、私にもっと力があれば......となり悔しい。もっと英語話せるようになりたいな~頑張りましょう。

 

 

11月19日(日)


 男女の仲良しグループって楽しそうで良いな、と今さらながらに思っていた。私はずっと男女の友情は無いと思っていた派で、というか成立させてくれなかったのはそっちじゃん、と漠然と不特定の誰かに怒りながら生きていた。ここ2年ぐらいでやっと「性別二元論と異性愛主義に囚われた頭のせいで、確かにそこにあったはずの友情を失うのは人生における過失すぎる」という考えに至っている。

大人になるにつれて色んなコミュニティに属すようになり「友情or恋愛」以外の人間関係の選択肢が増えてきたことは、かなり今の私の生きやすさに影響を与えてくれている。大人って最高かも。


 私には異性の幼馴染がいて、1歳にも満たない乳児のころから同じ保育園で育ち、なんかもう物心がついた頃にはそこにいて、腕を噛み合い目をひっかき合いながら育った。小学生の中学年になったあたりから、私と彼が一緒にいることが冷やかしの対象になり、そのあたりから学校の中でも男子/女子へと分かれていく瞬間が増え、当時の私はずっと戸惑っていた。


 確かにあったはずの友情が、その友情関係が異性同士で成り立っているというだけで「付き合っちゃいなよ~」といったような他者からのまなざしによって性だの恋愛だのへと丸め込まれ、変容を促されていく瞬間がとても怖かった。付き合っちゃいなよ〜と無責任に言うだけ言うような子たちに限って異性の友人がたくさんいて、何なんだよ、とも思っていた。

戸惑ったまま私は彼を遠ざけ、それでも友達でいたいから関わり直そうとも試みたものの、結局上手くいかず今はもう疎遠になった。


 高校1年生の時、隣の席の数学が得意なクラスメイトに、赤点スレスレ数学ド苦手私が教えを乞うてテスト期間の放課後に分からないところを教えて貰っていて、助かったわ!ありがと!とその子と解散した瞬間に同じ教室にいたクラスメイトに囲まれて「○○君と付き合うの!?」となった時も「え!?そうなの!?」と大困惑した。挙句の果てに「恋人が出来るのってのは素晴らしいことだよ」なんてわざわざLINEで諭しに来た子もいて、その時点で明確に「気持ち悪」と感じたのを覚えている。私は高校2年に上がるタイミングで転校してしまったので、そのクラスメイトの男の子ともそれっきりになってしまった。


 そういうんじゃないから、が、否定ではなく照れ隠しとしか受け取ってもらえず、さらに冷やかしへの燃料となっていたあの時、どうすれば私は毅然と彼らと友達で居続けられたのだろう。本当はもっと仲良くしたかった。数学を教えて貰った代わりに私の得意な科目を教えてあげたかった。


 10代の頃の自分の中の苦い経験たちに基づいて「そんなもの成立しないじゃん!」と自ら手放したものたちを、今になってやっぱり欲しかったなあ、と、仲の良さそうな大学の同級生の男女グループの子たちのことを羨ましく思いつつ遠くの陰から覗いている。 

 まあそもそも私には同じ大学の友達は一人もおらず、2020年、コロナ禍真っ只中入学サークル無所属を言い訳に人間関係を怠ったツケが回ってきただけなんですけどね。

 

 

 

2023年10月23日(月)

 

 寝る前に1500字分の文章を書いていて、朝起きてから読み返してみたらまあそれはそれはつまらなかったので没。深夜に書くものが良いものだった試しなど無い。起きた時点で「ああ今日は駄目な日だ」と分かる日というのがあるけど今日がそれで、お昼を過ぎたあたりからどんどん精神が希死念慮へと向かってしまい、これはいかん、と思い散歩に出る。

 家を出て30分、さらに追い打ちをかけてくる希死念慮とそれに対する防衛反応で目に映る全てに攻撃的な気持ちを抱きつつ、それを振り払うべく髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしる。そして

「おい!飽きもせず毎日毎日死にたがってるくせして美味しいものを食べてかわいい服を着て引越し先に置きたい美しい家具を選んでいるぞ!!!スーパーの切花コーナーで季節の花だって買うぞ!!!!どうだ!!!!!めちゃくちゃ生きようとしているだろ!!!!!!!!!!殺してみろ!!!!!!!!!!バ――――カ!!!!!!!!!!!!」

スマホのメモに書き殴り画面を切る。はあ。

 一心不乱に二時間歩いてヘロヘロになり、ひと通り溜飲も下がったところで「寒いし疲れたし今日はこれくらいにしてやる......」とサンドイッチを買って鴨川沿いを歩いて帰る。希死念慮vs生命力、本日は生命力の勝利。死んでみるのはまた今度~♪と口遊む。

 

 

2023年10月24日(火)

 ここ最近の希死念慮は「死にたい」ではなく「ウワー!殺してくれー!」と発狂しそうになるタイプの攻撃型で、他人の前で大声を出して崩れ落ちそうにならないように保つので必死。

 バイト終わり、ああ今日も駄目だった、そしてこの精神状態のままで家に帰ってはいけない、と思い昨日と同じようにずんずん歩く。

 「もう知らん!全部めちゃくちゃにしてやる!」と自暴自棄になろうと試みたものの、私の中で出来るそれなんていうのはコンビニで買ったサンドイッチとおにぎり3つを夜道を歩きながら食べる、というやけ食いと少しの行儀の悪さ程度で、私ってなんて矮小でつまらない人間なんだろうか、と余計に凹んでいた。

 そして、自分の中での悪いこと、の判断基準が未だに「両親に怒られそうかどうか」なことにも情けなくなっていた。もう23歳なのに。歩きながら食べない!ましてや外で!と怒られるだろうなぁ、と思いつつ夜道をサンドイッチを頬張りながら歩く。絶対に生き延びてみせる。

 

 


2023年10月25日(水)

 8時にすっと目が覚める。朝の血圧が80前半の壊滅的低血圧の私にとっては月に二度ほどしか訪れないレアケースで、鴨川沿いに散歩に行く。

 上流に向かってしばらく歩いてから木の下にあるベンチに寝転がって、木の葉がさわさわ揺れるのを見ながらラジオをかける。

 

 気候的にはこれくらいが快適だけれど、秋は本当に精神が狂ってしまうので駄目だ。かといってじゃあ一年の内でいつ気が狂っていないのかと聞かれるとそんな月は無く、もう諦めてこの気の狂いをやり過ごす方法を生み出していく他に無い。

 高校二年生の時に訪れたハワイの海で、その波の荒さと高さにそれまで瀬戸内海の穏やかな海を見て育ってきた私は圧倒された。現地の女の子が「波が自分の腰くらいまでの時はそれを飛び越えて、自分より背の高い波の時は下にもぐってやり過ごすんだよ」と教えてくれたことをずっと覚えている。

 この波は自分には越えられない、と思った時に、取り敢えず息を止めて下に潜るという選択肢を取る事は逃げではなく、寧ろ命を安全に保つための賢明な判断であると海の中では明確に分かるのに、地上で生活をしていて同じ状況に陥ると、なんで私はこんな波も越えられないんだろうか、と落ち込むので馬鹿みたいだなと思う。

 何か今の自分では越えられない困難に直面した時、まず私は越えられそうな次の波が来るまで待つべきで、どんな波も越えられる屈強さを手に入れようと意固地になり続けるのには限度があると早く自覚した方が良い。


 水が好きな私は自分の考えを海やら川やら魚やらで例えて文章にしがちなのだけど、先日のKOCのサルゴリラのネタで突如として「魚」が最高のキラーフレーズになってしまったため、私がどれだけ頭をひねって文字を書いても馬鹿馬鹿しく面白おかしくなってきてしまうようになり、お笑いの偉大さを感じる。どんな感情も展開も人生も、それら全てを笑いへと昇華させてゆく芸人という職業のなんと美しいことか。私は人生という海を泳ぐ魚、いや、人生という魚を泳ぐ魚、さらに言えば魚という魚を泳ぐ魚なのかもしれない。
 というか、お笑いバックスのKENさんと赤羽さんが全く私の中で繋がっておらずびっくりした。KOC最高だったなあ。

緑に潜る

 

 5月の終わりにバイトの面接に受かり、バイトを始め、そうこうしているうちに2回生の時に短期でお世話になったバイト先の手伝いにも行くことになり、ひょんなことから茶道の世界に入ってしまい、じわじわと卒論に追われ始め、今月末から前期の考査期間が始まる、という、去年365日中300日寝込んでいた私の脆弱なエンジンでは一日一日に置いていかれないようにするので精一杯な日々が続いている。キャパオーバーを起こすギリギリのラインでどうにか持ち堪えていて、耐えてくれ私の肉体と精神、と祈りつつ日々を過ごしながら、新しい世界に触れて、触れたことでそれまで持っていた世界との対峙の仕方を変えてみたり、反対にいやここは絶対に変えてはやらないからな、と頑固に抗ったりしている。

 

 最近、もうどうにもこうにもいかない、となった時は、朝早くの誰もいない大徳寺の中の庭園を一つずつ回っている。龍源院が一番好きで、週に一回くらいのペースでバイトの前に足を運んでいる。拝観料が350円なのも大学生のお財布に優しい。

 本堂の右側の襖には、しん、とどこかひんやりとした空気を纏った、作者も作成年も不明な水墨画の龍が荘厳な佇まいで潜んでいる。不意に目が合ってしまいそうで少し怖い。美しさは時に畏怖と繋がる。

 

 拝観料350円といえば、基本的にこれまで回ってきた大徳寺内の庭園の拝観料は350~400円だったので、大徳寺の中では一番大きな黄梅院という場所を拝観したとき、浪費家ゆえに普段必要最低限のお金しか持たないようにしている私は、950円あれば大丈夫でしょ、と思って門をくぐって支払い所の前に立ったところ「拝観料は1000円になります」と言われてだらだら冷や汗をかいた。

 11時からバイトで、今は10時15分で、少なくとも30分は拝観したいことを考えるとのんびり家にUターンしている余裕は無く「すみません近所に住んでいるので一旦戻ってきます!」と言い残して猛ダッシュで家までお金を取りに帰る。全速力で走ったのなんていつぶりだっただろう。なんかもうやけになって楽しくなってきてしまい、早朝から満面の笑みで走る成人女性になっていた。汗だくの中で戻ってきて何とか拝観料を払い、何も無かったです、というすました顔をしつつ大急ぎで息を整えて中に入る。

 近所だからという理由だけで通っているので大徳寺についてもふんわりした情報だけでよく調べもせずに拝観して回っていて、帰宅してから黄梅院の中のあれこれが重要文化財だったことを知りそれは1000円するわけだ、となった。いくら必要最低限とはいえ流石に1500円くらいは入れておこう、と反省する。

 

 私の生活圏内は織田信長公と何かと縁のある地区で、大徳寺は信長が自身の父のために創建したそうだ。本能寺で亡くなった信長本人の葬儀も黄梅院で行われ、その後は大徳寺から歩いて4~5分のところにある建勲神社という神社に祀られている。建勲神社も大好きでよく足を運ぶので色々書きたいけどまた今度。

 

 庭園の中の草木が青々としている。天気予報の予想最高気温が日に日に上がっていくのに比例して、目に映る植物の色が濃くなっていくのが分かる。自分が本堂の廊下を歩く時の廊下が軋む音だけが建物の中に響く。

 人の気配が薄い場所には少し不思議な神聖さが宿る。だから早朝の神社が、お寺が好きだ。何百年もの単位で存在し続けている空間は、たった20年そこらしか生きていない私のこともただそこで静かに待ってくれている。ここにいることを許されている、と思う。大きなものに許されていると安心する。大丈夫だ、ちゃんと生きていける、と深く息を吸い込む。

 

 庭園の中を風が駆け抜けていって鮮やかな青紅葉を揺らす。その隙間を縫って光が差し込んで、丁寧に手入れされた苔庭に反射してきらきらする。世界の美しさを知っていて、それを憶えている限りは人生なんてどうにかなると信じている。私はちゃんと、何を美しいと思うかを自分で決めることが出来る。

 

というわけで、23歳になりました。もう10日も前の話だけど。生きていこうね。

 

 

正夢になるのは

 

一月九日(月)

弾丸で東京は国立へ。高校サッカー勝戦を観に行く。

私は何も持っていない、と泣きながら帰った一昨年の秋に来た雨の東京とは違って、よく晴れて空気が澄んでいた。何者かになりたいと思っていたあの時から、何者にもなれないのだと分かった上で良く東京は前よりも息がしやすい。横に広い大きな国立競技場で蹴り上げられていくボールを目で追いながら、私が二度と手に入れられないものを切り取って分けてもらったような気持ちだった。いわゆる青春と名の付くものに対してのコンプレックスが強いので、羨ましくて、ずっと眩しい。太陽が沈んでいく中で鳴った、試合終了を告げる長いホイッスルの音が今も聞こえている気がする。

 


一月十日(火)

昨日の弾丸東京旅でへとへとになっていて15時過ぎまで寝ていた。体力が無い。

一昨日、同窓会のLINEが届いた時から精神面の具合が悪い。久しぶりに刺し傷から血がだばだばと流れているような感覚になる。自分を守るためにこんこんと眠る。夢の中なら少しだけ安全だ。

楽しいことというのは実に脆弱で、いとも簡単につらく苦しかった思い出たちに覆い尽くされて消えてしまう。中学3年間を振り返っても楽しかったことを何も思い出せない。持っているはずの幸せを全部見失ってしまう。恵まれていることを否定して自ら不幸になり下がろうとしていて愚かだ。今だって充分幸せなはずなのに、幸せになりたいという思いには天井が無い。もっともっと、と思う。私はもっと幸せになりたい。

今年一冊目の本を読み終えた。ずっと気になっていた本だったのでやっと読めた、という気持ち。ハワイに行きたくなった。ハワイの波の高い海にまた入りたい。

 


一月十一日(水)

図書館でがりがり日記を埋める。文字を書きすぎて右手が痛い。中指にあるペンだこは私がそれだけの文章を書いてきた証だ。ずっと読みたかった尾形亀之助全集を借りる。『月と手紙』が好きで特にお気に入りの部分をノートに書き写した。

 


 あなたの泣き顔が好き(?)でたまらなかった。

 あなたが笑ふのが好きで、つまらないことを言つてはあなたを笑はせてゐたけれど、あなたの泣き顔があんなにいゝとは気がつかないでゐたのです。

 泣くといふことが悲しいことでないなら、(言ひ廻しがをかしいけれどもしかたがない)ときどきあなたの泣くのを見たい。

        『月と手紙』/  尾形亀之助

 

 

最近、今思い出している記憶は本当にここにあったことなのか、それとも夢の中で見た光景であって実際には経験していないことなのかのどちらなのかが曖昧になっている。どっちがどっちでもどうだっていいような気がする。

 

 


一月十二日(木)

プールに行くもやる気が無くて45分だけ泳いですぐ温泉に浸かって帰ってきた。平日の昼間から露天風呂に浸かれるので大学生は良い身分だと思う。誰もいなくて貸切状態のプールはひっそりしていて少し怖い。もう一組お客さんがいるくらいの方が安心して泳げる。

帰ってきてから『彼の見つめる先に』を観た。ブラジルの映画。10代の、誰かを好きになるってこんなにきらめいているんだよなと、思わず一時停止して心を落ち着ける時間をとったくらい眩しい映画だった。ふたりのこれからの未来が幸せなものであるように願いながらエンドロールを眺めて浸っていた。こういう繊細で穏やかな恋愛ものだけ観ていたい。

 

私も恋したいな、と思いかけるもこれはただ単に自分を許してくれる存在が欲しいだけなので却下。でも恋なんて、2人でいるときに楽しさを増やすためのものというよりも、1人でいる時の寂しさを生きていくためにあるものなような気がする。孤独に打ち勝てる人間になりたい。

 


一月十三日(金)

通院。現状維持。先生に大丈夫ですか、と聞かれて、大丈夫です、と答えたら、言い聞かせてるみたいだね、と言われた。確かにそうだなと思う。言い聞かせていないと私が本当は大丈夫じゃないことが私にバレてしまう。バレると全部が崩れ落ちて立て直せなくなってしまうので、大丈夫です、と言うしかない。

病院から薬局までの導線に式場案内のお店があって、ショーウィンドウにはきらきらしたウェディングドレスが飾られている。処方箋の紙とお薬手帳、自立支援の緑色の冊子を握りしめてその店の前を通るとき、いつも喉がぎゅっと締まる。

幼い頃、当たり前に手に入ると信じていた分かりやすい幸せの形は「自分の好きな人と結婚すること」だと思っていた。結婚が幸せという言葉とリンクした事柄だと今も信じている節があるのか、そして病気の自分のことを勝手に負い目に感じてしまう私は「こういう幸せは(今こうやって精神科に通っているような)私では手に入れられないのだ」と苦しくなってしまう。

そうして通院の度にめそめそしていたものの、最近ではその苦しさすらなくなり、割り切っているところがある。結婚して子どもを産んで、というような人生が自分の人生と繋がっているとはまるで思えなくなってしまった。苦しくなるということは、今は手に入れられないと思っているけれど本当は欲しい、と思っていた状態だったのだと思う。今は欲しいとすら思わず、結婚どうこう以前に自分一人を成り立たせることでいっぱいいっぱいになっている。

病院に行く日はいつも未来が真っ暗になるので、薬局のソファーに座って小さなテレビから流れている夕方の再放送のドラマを観ながら調剤を待っているあたりで段々と気持ちが沈んでくる。いつまでも続いていく病気との共存生活も、減るより増えることの多い薬も、慣れてきたとはいえふとした瞬間にしんどさがやってくる。

 


一月十四日(土)

昨日の夜からなんとなく不調で寝込む。午後から持ち直して映画でも観るか、となってアマプラでなんとなく気になってゾディアックという作品をかける。実在の事件というのもあって二時間半の上映時間で犯人は分からないまま終わり、ずーん......とした気持ちが残る。こういう時に観るべき映画ではなかったことが分かった。セブンとファイトクラブと同じ監督の人で、確かに空気が同じだな、と思う。

こういう時は明るい気持ちになる映画を観て気を紛らわせたいよね、とちょうど帰ってきたお母さんと話していて、2度目のアマプラザッピングをしていたらお母さんがこういう雑さがちょうど良いんじゃない、と言って、川に流れた薬品の影響でゾンビ化したビーバーがキャンプに来た若者たちを襲って回る、というゾンビ×ビーバーのB級パニックホラー『ゾンビーバー』を観始めた。あらすじだけで面白い。私も横で途中まで観ていたけれど、ゾンビとはいえ小動物のビーバーたちが人間に殴打されるのが痛ましくて見ていられなくなり自室に戻る。ゾンビーバーの勝利で人間が全滅して終わったらしい。最高。

 


一月十六日(月)

寺地はるなさんの『水を縫う』を読む。するする読める爽やかな本だった。今週末に図書館に返却しないといけない本がまだ何冊か読めていないので読み切らなければ。

今日は夕方まで2500字弱の日記を書いていた(『巻けたら』というタイトルのやつ)。どうでもいいことをつらつら書き溜めてどうにか生き延びようとしている。意味の無い人生に意味を見出そうとしている。本当は、出来るならずっと眠っていたい。夢の中でだって居場所は無いけれど、夢の中の方がこちらの世界より少しだけ安全だ。夢の中の私は死にたいと思わない。

 


 

 浅いプールでじゃれるような ずっとまともじゃないってわかってる

 「届くはずない」とかつぶやいてもまた 予想外の時を探してる  /正夢

 

 

 

一月十七日(火)

お風呂から出たら急に悲しくなってしまって訳も分からずに泣いている。やっぱり文章が一気に書けてしまう時は危ない。ある種の躁状態なのだと思う。6月のOD前2週間ほど、2500字の文章を毎日狂ったように書いていた時もそうだった。

昼間、録画していたTRIGUN STAMPEDEを観る。天下のOrangeさんの3Ⅾアニメーションはやっぱり良い。ガンアクションとカメラが目を見張る格好良さだった。アクションシーンを何度もリプレイする。ヴァッシュが良い~め~ちゃくちゃ格好良い。松岡禎丞さんのお芝居も大好き。コミカルでへらへらしていているけど底が見えなくて、でも人の良さが滲み出ている繊細さがある。これから重たいストーリーになっていきそうなので心を強く持つ。水星の魔女も6話以降観れていないので追わないと。

午後は美容室。大分落ち着いた髪色になった。もう一回金髪にしたいけどおばあちゃんに良い顔されないしな。

 


一月十九日(木)

頭痛で起きる。布団の中で呻いていたら隣の家の解体工事のどんがらがっしゃーんという音が響いていて勘弁してほしい。ロキソニンが効いてきてから外に出る。精神的に調子が悪いとお金を使うことで気を紛らわせようとしてしまうので散財が増える。新しいシャーペンを買ったけどあまり手に馴染まなくて、結局いつも使っているシャーペンを使って日記を書く。

丸善に行って本棚の下の方を見るためにしゃがんでいると、そのまま二度と立てなくなるかもしれない、と思って少しの間うずくまりながら波が去るのを待つ。何度繰り返しても新鮮に鬱の波に吞み込まれている。マニキュアがはがれてぼろぼろの爪になっていて、ニットの中の汗が冷えてつめたい。

 


一月二十三日(月)

明日はかなり寒くなるらしい。頭痛耳鳴り眩暈に立ち眩みと体調不良のオンパレードだった。活字を追うと頭がくらくらする。本を閉じて眠ってしまう。

夕方、起きてお腹空いたな、まだ眠くて仕方ないな、と思いながらカップラーメンを啜っていたら夢から覚めてはっとした。今度こそ起きて、(気持ち的に)二度目のカップラーメンを啜る。

眠ってしまう前に日記アプリに「夢と現実の境目なんて当の昔に無くなっていて 境界の無い世界で生きている」と書いていたのだけど本当にそうだと思う。どっちがどっちかなんて本当はどうでも良くて、どっちで生きていたって良い。