去る季節

 

 

12月11日(月)
 
 金閣寺前は毎日観光客でごった返していて、みんなほんとに金閣寺のこと好きやな......と思いながらその道沿いを通って出勤するのにバイト先の大徳寺近辺は平日にもなるとほとんど人通りが無い。紅葉も終わり始めているし黄梅院とかも人が減ってきたんだろうか。
 お客さんが来ない時間になると、最近はお店の中庭にある椿の散って落ちた花を拾って掃除している。椿は根元から花ごとぽとんと落ちて散るので、首が落ちるのを連想させるため武士からは敬遠されていたらしい。その散り際の潔さも込みで私は椿がかなり好きで、しおれて落ちてしまったものもなんとなくごみ袋に入れられず、完全に茶色くなるまでとりあえずは客席から見えないところに避けてしまっている。
 砂利が引いてある庭なので箒で掃いてまとめるのが難しく、手でちまちまと拾い上げながらふと「白い椿は花ごと落ちたものを拾っているのにマゼンタの椿の方は花びらの状態になったものを拾っているな?」と気付く。品種の違いなのか何なのか。鳥がつついたら崩れてしまうんだろうか?などいろいろ考えるも分からなかった。

 


12月12日(火)

 昨晩寝る前に「椿の花の落ち方が違うのって何の違いなんだろう」という旨のツイート(意地でもTwitter、ツイートと呼び続けていて引き際が分からない)をしたら今朝コメントをくださった方がいた。
 どうやら花の種類から違っていて、マゼンタ色の方は山茶花だったらしい。どちらもツバキ科で判断に迷いますが、終わった花が丸ごと落ちるのが椿、花びらが1枚ずつ落ちるのが山茶花ですよと教えていただく。ひとつ賢くなった。
 似た者同士のふたりが決定的に差異化される瞬間が終わりの時なのってめちゃくちゃオタク心をくすぐる。椿の潔さも山茶花の儚さも綺麗で素敵だ。どう生きるかではない、どう死ぬかだ、みたいな類の人生論に似ている気がする。
 夜、突然やってきた和牛の解散をニュースを見てかなりつらくなっている。和牛の漫才は伝統工芸品、特に寄せ木細工のような、細部の細部まで全てが計算され丁寧に組み上げられた本当に美しい漫才で、観るたびにいつも笑いながら惚れ惚れしていた。もう観れなくなっちゃうのか、ただただ寂しい。漫才師の解散はいつだって悲しい。
 やっぱり私は“2人”というのが人間関係における最小で最大の単位だと思っているので、その2人が袂を分かつ瞬間というのは誰にも介入出来ないんだよな、と思う。あ~~~寂しい。

 


12月13日(水)

 12月とは思えない暖かさだな、と思いながら洗濯物を干したあと、冷凍ブルーベリーをつまみながらぼんやりしていて、気付いたら左手の親指と人差し指が真紫になっていてぎょっとした。洗っても取れない。ちゃんとスプーンを使いましょう。
 tofubeatsさんのサンプリング&エディット講座(https://youtu.be/elkmnnTLP74?feature=shared)を流している。DJの知識が一切無いので「何も......何も分からんけど格好良い......!!!」というモチベーションのみで観て聴いている。でもそれで良いと思っている。お客さんたちもとてもラフに楽しんでいて空間ごと素敵なのが伝わる。DJイベント行ってみたい。東京ってこういうところに行こうと思えばふらっと行けるんだもんなあ、田舎の豊かさの中で育った自分のことも好きだけれど、それでも都会の文化的な豊かさを想う。
 音楽を聴いていてこういう曲調が好き、となっても、それがどういうジャンルにあたるのか、どんな技法で作られているのかが分からないから似た系統を探せない、みたいなことがよくあるので、作者の方が自分の曲の概要欄にその曲のジャンルのタグなんかを付けてくれているととても助かるしありがたい。数か月前にシャッフルで流れてきた松木美定さんの『舞台の上で』に撃ち抜かれてしまって、その概要欄のタグからジャズワルツというジャンルの音楽があることを知った。ジャズワルツ、と検索したら自分の好きな曲調の音楽がわんさか出てくる!1つ単語を知っているだけでこんなにも求めている情報に簡単に繋がる!知識があるって素晴らしい!となる。私のお葬式のBGMは松木美定さんメドレーが良いです。
 なんか良い、とか、分からないなりに知ろうとしてみる、のスタンスでいる方が人生において楽しいことが増えると信じているので、出来るだけ気になったものとか、誰かが「これいいよ」と教えてくれたものなんかへのフットワークを軽くしていたい。そのテンションでこの前AKIRAを観たら脳をぶんぶん振り回されて暫く調子を崩した。

 


12月16日(土)


 バイト先の押入れ(商品在庫とかがある)のセンサーライトに完全になめられている。私が入ってもその場で身体をぶんぶんしてみても全く反応してくれず、仕方なくスマホのライトを点けた瞬間に点灯したり、スマホのライトでひと通り用事を済ませて押入れから出ようとした瞬間に点灯したりしてくる。もてあそばれており許せない。
 ほんとにいつもいつもよお......と思いながら今日は午前中押入れの中の整理をしていて、よし綺麗になった、と出て以降午後からは一度もセンサーが無反応になることなく光ってくれた。どうやら働きを認めて貰えたらしい。

 


12月17日(日)


 絵に描いたような減点方式人間で生き辛い。95点を取っても失った5点の方にばかり執着してしまう。いわゆる「優等生」として育ったので、優秀では無い自分に価値は無い、という自分でかけた呪いがずっと解けない。見てください、私はもっと出来るんです、もっと優秀なんです、さらに優秀になってみせます、と一体誰にそれを示したいのか分からないまま、いつも勝手に追い詰められて自滅している。生きていくということは即ち自分で自分にかけた呪いを解いていく作業で、出来たことを1つずつ数えて肯定していく練習が続いている。
 誰かに何かを与えていないと自分の存在価値が分からなくなる。それは単純に物だったり、言葉だったりする。疲れて鬱傾向が強まり、しんどくなると家族や友達にプレゼントを送り付け、匿名メッセージで好きなイラストレーターさんや企業に好きですいつもありがとうございますという旨のメッセージを送りまくってしまう。     
 勿論その言葉に嘘は無いしプレゼントの類も相手に届けたくて喜んでほしくて贈っているけれど、でもその行動の根底には自分の存在価値を証明させたいという縋りがあり、そうして誰かに与えるものほど愚かなものは無いように感じる。自己嫌悪の嵐。ずっと誰かに許されたがっている。