緑に潜る

 

 5月の終わりにバイトの面接に受かり、バイトを始め、そうこうしているうちに2回生の時に短期でお世話になったバイト先の手伝いにも行くことになり、ひょんなことから茶道の世界に入ってしまい、じわじわと卒論に追われ始め、今月末から前期の考査期間が始まる、という、去年365日中300日寝込んでいた私の脆弱なエンジンでは一日一日に置いていかれないようにするので精一杯な日々が続いている。キャパオーバーを起こすギリギリのラインでどうにか持ち堪えていて、耐えてくれ私の肉体と精神、と祈りつつ日々を過ごしながら、新しい世界に触れて、触れたことでそれまで持っていた世界との対峙の仕方を変えてみたり、反対にいやここは絶対に変えてはやらないからな、と頑固に抗ったりしている。

 

 最近、もうどうにもこうにもいかない、となった時は、朝早くの誰もいない大徳寺の中の庭園を一つずつ回っている。龍源院が一番好きで、週に一回くらいのペースでバイトの前に足を運んでいる。拝観料が350円なのも大学生のお財布に優しい。

 本堂の右側の襖には、しん、とどこかひんやりとした空気を纏った、作者も作成年も不明な水墨画の龍が荘厳な佇まいで潜んでいる。不意に目が合ってしまいそうで少し怖い。美しさは時に畏怖と繋がる。

 

 拝観料350円といえば、基本的にこれまで回ってきた大徳寺内の庭園の拝観料は350~400円だったので、大徳寺の中では一番大きな黄梅院という場所を拝観したとき、浪費家ゆえに普段必要最低限のお金しか持たないようにしている私は、950円あれば大丈夫でしょ、と思って門をくぐって支払い所の前に立ったところ「拝観料は1000円になります」と言われてだらだら冷や汗をかいた。

 11時からバイトで、今は10時15分で、少なくとも30分は拝観したいことを考えるとのんびり家にUターンしている余裕は無く「すみません近所に住んでいるので一旦戻ってきます!」と言い残して猛ダッシュで家までお金を取りに帰る。全速力で走ったのなんていつぶりだっただろう。なんかもうやけになって楽しくなってきてしまい、早朝から満面の笑みで走る成人女性になっていた。汗だくの中で戻ってきて何とか拝観料を払い、何も無かったです、というすました顔をしつつ大急ぎで息を整えて中に入る。

 近所だからという理由だけで通っているので大徳寺についてもふんわりした情報だけでよく調べもせずに拝観して回っていて、帰宅してから黄梅院の中のあれこれが重要文化財だったことを知りそれは1000円するわけだ、となった。いくら必要最低限とはいえ流石に1500円くらいは入れておこう、と反省する。

 

 私の生活圏内は織田信長公と何かと縁のある地区で、大徳寺は信長が自身の父のために創建したそうだ。本能寺で亡くなった信長本人の葬儀も黄梅院で行われ、その後は大徳寺から歩いて4~5分のところにある建勲神社という神社に祀られている。建勲神社も大好きでよく足を運ぶので色々書きたいけどまた今度。

 

 庭園の中の草木が青々としている。天気予報の予想最高気温が日に日に上がっていくのに比例して、目に映る植物の色が濃くなっていくのが分かる。自分が本堂の廊下を歩く時の廊下が軋む音だけが建物の中に響く。

 人の気配が薄い場所には少し不思議な神聖さが宿る。だから早朝の神社が、お寺が好きだ。何百年もの単位で存在し続けている空間は、たった20年そこらしか生きていない私のこともただそこで静かに待ってくれている。ここにいることを許されている、と思う。大きなものに許されていると安心する。大丈夫だ、ちゃんと生きていける、と深く息を吸い込む。

 

 庭園の中を風が駆け抜けていって鮮やかな青紅葉を揺らす。その隙間を縫って光が差し込んで、丁寧に手入れされた苔庭に反射してきらきらする。世界の美しさを知っていて、それを憶えている限りは人生なんてどうにかなると信じている。私はちゃんと、何を美しいと思うかを自分で決めることが出来る。

 

というわけで、23歳になりました。もう10日も前の話だけど。生きていこうね。